時計の針 2013 6 8

 いまだに「憲法改正反対」と主張する人は、
時計の針が、終戦直後で止まったままの人です。
あるいは、時計の針が1960年で止まっていると言えるでしょう。
 確かに、この時代は、日本に対する脅威はなく、
「平和」だったと思います。
 北朝鮮には、まだ弾道ミサイルがなく、
中国も、核ミサイルを開発してなかった時代です。
そして、中国軍の攻撃手段と言えば、「人海戦術」ぐらいでした。
 このような状況であれば、
日本は、非武装中立も可能だったかもしれません。
 さて、現在は、どうか。
北朝鮮は、弾道ミサイルの大国となりました。
日本に向けて発射できる弾道ミサイルの数は、100発以上です。
さらに北朝鮮は、3度目の核実験を成功させて、
ついに核兵器保有国となってしまいました。
 こうなってしまった原因は、アメリカにあります。
アメリカは、1990年代から、
いつも「話し合いで何とかしましょう」と主張していて、
結局、「20年間の話し合い」の成果は、
弾道ミサイル大国と核兵器保有国になった北朝鮮です。
 中国についても、弾道ミサイルの数は、数百発あり、
日本に照準を合わせている核ミサイルも、10発以上でしょう。
 中国軍についても、米軍並みのハイテク装備になっていて、
「人海戦術が唯一の攻撃手段」と言われた時代は、昔話です。
 このように国際情勢が激変しているのです。
こうした変化を認識できない人は、
本当に「時計の針が止まっている」か、
あるいは、中国や北朝鮮の「潜在的な協力者」か、
どちらかと言えるでしょう。

書名 東京に弾道ミサイル! 核災害で生き残れる人、生き残れない人
著者 高田 純  オークラNEXT新書

 「永田町から首都の壊滅を見ることになるとは。
これが1945年以来、平和を希求してきた日本の結末なのか!」
 地下鉄の通路を駆け上がって急いで地上へ出た、
政治部記者の平岩は絶句した・・・・・。
国民保護警報が鳴り始めてから、わずか1分後だった。
 20キロトンの核ミサイルが、
赤坂にある全日空ホテルの上空600mで爆発したのである。
 イージス艦は、20発のミサイル発射を確認。
そのうち、10発が弾道ミサイル。
残り10発のミサイルは、巡航ミサイルで、
日本海に展開していた日米の艦船に向かった。
 最高高度300kmから放物線を描いて落下する核弾頭を含む再突入体は、
速度をぐんぐんと増し、音速の8倍となって大気圏に突入してきた。
 市谷にいた部隊は、天空から高速で落下してくる10個の再突入体へ向けて、
16発の迎撃ミサイルを、次々に発射した。
 しかし、もととも個々の命中率が10%以下と低い上に、
敵の弾道ミサイルが近距離から発射されているために、
迎撃の時間が極端に限られていること、
さらに多数のおとりの再突入体のために、
自衛隊の迎撃は失敗に終わった。
(以上、引用)
 「1945年以来、平和を希求してきた」と言うけれど、
その間に、日本は、核武装国家に囲まれてしまったと言ってよいでしょう。
 後世の人たちは、
「日本は、平和ボケで、ぼんやりしていた。
だから、また被曝国になってしまった」と言うでしょう。
 現在、国民の間には、
「日本は、ミサイル防衛システムがあるから大丈夫だ」という、
またもや安全神話に浸りきっていますが、
ミサイル防衛システムは、技術力の誇示には有効でも、実用性はありません。




































































トップページへ戻る